Friday, May 30, 2008

もう努力なんてしない!!

みんな、思い通りに行かないこと抱えて、苦しんで、それでも頑張って生きてる。

それがどうしてわからないの?
自分だけ辛いと、自分だけかわいそうだと どうして思えるの?
その涙は、何?
それを見せて、何をまわりに望むの?
自業自得だと、ホントに心からわかってなんかないのね。

私はもう 努力なんてしないよ。

あなたの気持ちを 分かろうだとか、
あなたを助けようだとか、
あなたの友達でいようだとか、

そんな努力 もうしない。

しても無駄だと ようやく気付いた。
長い間、ずっと願ってきた。
いつか、あなたが私の気持ちを理解してくれること。
受け入れてくれなくてもいい。
わかってくれたらそれでいいと・・・。

せめて、分かって欲しかった。

私は素直じゃないから、
あなたの裏切りにひどく傷ついても、怒りでしか返せず、
あなたの曖昧さには、強気で反抗し、
あなたの言葉に、埋められない距離を感じ、
あなたの嘘で、離れようと決めた。

私は強くないし、人一倍寂しがり屋だから、
もう、あなたとは一緒にいられない。
あなたは私にとって大事な友達だったけど、
だからこそ、これ以上傷つくのも、孤独を感じるのも、怒りを覚えるのも、

もう嫌。

私の友情が重かったのなら、ごめんなさい。
あなたの「友情」や「友達」は私には当てはまらないんだよね。

私は、嬉しいことや楽しいこと”だけ”を
分け合う関係を友達には求められない。

辛いとき、悲しいときこそ傍にいたい。
嫌われても、助ける為に時には率直な意見も言い合う。
そんな友達になれると思ってきたから、

私は決めた。
もう努力しない。

するとするなら、あなたに「さよなら」する努力。

もう求めないから。
もうすぐ、いなくなるから。

私が去ったその時、あなたがどう思うかなんて
今は少し気になるけど、

そんなの、もう、関係ないことだよね。

Tuesday, May 27, 2008

Castle Imitation

有害な正しさを その顔に塗るつもりなら 私にも映らずに済む
燃え盛る祈りの家に 残されたあの憂鬱を 助けたりせずに済む

小さな腫瘍脈を速め 荒々しい愛の指揮が 私の旋律を辱める
焼け野原には 選択のカードが散らばる
それでも貴方の脳はケースの中に?

私の怒りを 吸い上げるヴィーナス わずかな覚醒を 看取る日々さえ
愛して 激しさで見失う正義のナーヴァス 
生きて・・・

完全な醜さで 自分を越えてゆけるのなら 何度でも泥を纏おう
不完全な瞬きで 綺麗なもの以外全てを 消すのなら この眼を捨てよう

いつも通りの南風が 勇気をさらい 乱れに棲み着く鼠達がこの肺を蝕んでく
鏡の中で 遠ざかる確信を追わずに 
それでも貴方の脳はケースの中に?

私の焦りを吸い上げるヴィーナス 貴方が似合うと言ったこの抗いの
ドレスを裂く程の答えと正義のヴィーナス  
生きて・・・

海を開けて 二度と振り向かないように
闇へ続く道でも 後ろなど振り向かないように

私の怒りを吸い上げるヴィーナス わずかな覚醒を看取る日々さえ
愛して 激しさで見失う正義のナーヴァス
生きて・・・

Friday, May 16, 2008

悟り

昨日の朝日新聞の天声人語。前半に正岡子規の台詞が載ってた。

ー「悟り」とは「いつでも平気で死ねること」だと思っていた。
でも、本当は「悟り」とは「いつでも平気で生きること」だった。

脊椎カリエスで長年病床に伏し、30代で逝った彼だが、
この台詞、大分「悟り」だと思った。

このブログに何度同じ事を書いたか分からないが、人生は本当に思い通りにはいかない。
山があって、谷があって。
その連続だ。

その山はとても高いかも知れないし、その谷は随分深くて、次の山までだいぶ遠いかもしれない。
そして、一寸先は闇かも光かも分からない。

分かるのは、いるとするなら神のみだ。(神という言葉は適切ではないかもしれない。ならば、何か世界を動かす大きな力 とでも言おうか・・・。)

でも、生きている限り、必ずいつか、何かしらの打開策が見つかる。
辛い想いをして、乗り越えた先には、必ず救いが待っている。
もしかしたら、辛さの割に、救いが小さすぎると思うかも知れない。
でも、必ず、光は見える。

今は夜で、光が見えなくても、必ず朝は来る。
大切なのは、闇の中で、どれだけ、「光の中では見えない光」を多く見つけられるかだろう。

忘れていた感覚

ここ数日で、とても有意義な議論をした。
と、いうか、いい話を聞けた。

今セメで、初めて西洋系(特にヨーロッパ)の留学生と授業がいくつか一緒になった。
異文化の授業には、ノルウェー、オーストリア、ハンガリーの学生が、
東アジア研究概論の授業には、ノルウェー、フランス、台湾、オーストラリアの学生がいる。
彼らの授業を受ける姿勢や、発言力、発言の内容の深さ、知識の多さには本当に感心する。
それと共に、私はここ最近、本気で自分の無知さ、発言力、言語力のレベルの低さ、受け身の姿勢にほとほと恥じ入っている。

EAPが終わって、本格的に英語「で」受ける授業になってきた。去年の秋セメの時、国際関係論を取って、本当に面白いと思った。あの授業は、物事のつながり、歴史と現在そして未来への流れ、何が正しくて、何が間違いなのか・・・・そういうことをいろいろな視点から(cosmopolitan とかstate moralistとかutilitarianとか)考察して考える授業だった。だから、世界の流れや因果関係がよく見えて面白かった。テストはファイナルが100%。エッセイだったから、この流れ、因果関係が分かって無いと意味がない。というか、エッセイが書けない。この試験に関しては前にブログに書いたハズ・・・。グレードは結局Aを頂けたが、正直、ここまでグレードなんか関係ないと思えるくらい楽しい授業はAIUで初めてだったように思う。

私は言語そのものが大変好きなので、AIUの授業はほとんどが面白いし、興味深い。EAPやSPC,COMPOでさえも、面白いと思ってきた。でも、常に一番先にGPA やグレードを気にしてきた。だから、どうしても、Critical Thinking うんぬんの話ではなく、受け身的、先生の嗜好重視そんな姿勢だった。そして、それに慣れきって、その姿勢に疑問すら抱かなくなっていた。

3年前、私は仙台の河合塾文理で浪人生活を一年送っていた。浪人時代は本当に有意義だったと思う。何より、塾講師の話はどれも面白く、私の世界を大いに広げた。寮の友人や同じクラスの友人達と、勉強そっちのけでいろいろな話題を議論したことが多々ある。私は今、東アジアを専攻し、中国語を第三外国語に選んで、もろに中国語圏である台湾に行こうとしている。だが、実は私は高校まではアメリカ、西洋にしか興味が無かった。浪人時代ある先生の一言とある友人との議論が私を180°変えた。それから、私の志望校は変わり、学びへの姿勢も変わり、結果AIUにやって来た。人生をガラッとかえる出会いと学びを私はあの場所でしたのだ。あの頃の、考えること、知ること、学ぶこと、知識へのこだわりと渇望は、大きなエネルギーを持って私の心を突き動かした。常に私は満たされない気持ちでいっぱいで、もやもやしていて。。。でも、だからといって諦めたわけではなく、受験勉強そっちのけで本屋に足繁く通っては本をよんだ。授業に出ることは講師の話を聞けること。それだけで、予備校に毎日行く意味があると思えた。

今セメが始まって、最近あの頃と同じような感覚に襲われることが多い。AIUに入ってから大分長い間忘れていた感覚だ。その感覚に、自分がここ数年考えていないことへの焦りと、英語力(つまり表現力)のなさへのもどかしさが加わって、私は猛烈なもやもやにさいなまれている。あのころ、受験勉強よりも考えること、自分の知識をどん欲に増やすことを優先した行動力は、今私にはない。いつもどこかで、宿題のおおさを理由に、知ることから逃げている。矛盾だが、私は知ることが正直怖い。なぜなら知ろうとすると、まず一番先に自分は本当に何も「しらない」ということを知るからだ。無知の知というか、無知は無知だと思う。

「言語はコミュニケーションの道具だ。」
よく聞く台詞だ。私もそうだと思っている。だが、「されど道具」なのである。
つまり、道具を正しく使えて初めてコミュニケーションは完成するのだ。
人間は言語というシステム無くして生きてはゆけない。言語は私たちの生活を常に定義して、動かしている。私たち人間は皆、言語のストラクチャーに区切られた枠のなかで生活していく。
ちょうどステーキを食べるときに、ナイフとフォークの使い方が分からなければ、うまくステーキは食べられないのと同じように、道具は使いこなせなくては意味がない。
また、反対に道具が使えても、肝心のステーキ、つまり話の内容が無ければこれまた意味がないのである。

ここまでつらつらと書いてきたが、いまいちこのもやもやを言葉で整理するのは難しい。
しかし、すこしづつ整理して、書いていこうと思う。
留学生や、周りの人たちと話をもっとして、いろんな考え方を知りたい。
偏りはどうしても出てくるだろう。でも、自分の考えを自分で考えて作れるように多角的な視点から物事を見ようと思う。新聞やニュースももっと生活の中に取り入れていこうと思う。

この感覚は、とても私を焦らせる。
だが、これを今思い出したのには何か意味があるはずだと思う。

Sunday, May 4, 2008

台湾奨学金 研究計画書

国際教養大学 三期生 土屋友美 

志望大学名
台湾留学の志望理由
留学中の具体的な研究計画
帰国後の計画(地位、職業)

私は現在の大学に入学して初めて中国語に触れました。私が現在在学中の国際教養大学は世界各国からの留学生を受け入れています。日々、アジア各国や、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどから来た留学生たちと交流が出来ます。学生の主な交流の場であるカフェテリアには様々な言語が飛び交っており、私自身入学してからの約二年間でいろいろな言語に触れることができました。それまで、外国語といえば英語しかなかった私は、この大学で英語以外の言語に興味を持つようになりました。ロシア語や韓国語、スウェーデン語などをちょっとかじったこともあります。しかし、その中でも、ひときわ私の心をつかんだのが中国語でした。

私が中国語に惹かれたきっかけは学生寮で隣の部屋になった台湾からの留学生と仲良くなったことです。当初私はタイと台湾の区別も良くつかないほど台湾について何一つ知らず、漢字ばかりの中国語に違和感すら覚えていました。しかし、彼女と毎日話し、日本語を教える中で、同じ漢字を使っていても意味が違ったり、発音が違ったりする中国語にだんだん興味が出てきました。その後、大学内の日本台湾学生会議に参加し、言語だけでなく台湾の暮らしを知る機会も増えました。私の中国語への入り口は、中国大陸ではなく台湾からだったので、中国語を学ぶ際は決まって台湾の言い回し、注音、繁体字が気になり、大陸の言い回し、ピンイン、簡体字とともに、現在も独学を続けています。一年生の夏から中国語を独学し始め、2007年の秋学期から大学で中国語のクラスをとり始めました。

国際教養大学は全ての授業を英語で行うというユニークな大学です。私は英語を学ぶのではなく、英語で学ぶというこの大学のスタイルが気に入っています。ここでは専門課程として、グローバルビジネス、グローバルスタディズ(北米研究分野または東アジア研究分野)、これら三つのコースを設置していますが、私は東アジア研究分野を専攻し、アジアの政治、国際関係、文化、歴史などを研究していきたいと考えています。

そんな私が、なぜ中国大陸への留学ではなく台湾への留学を志望するのかと言いますと、幾つかあるのですが、繁体字を学びたいからと言うのが、まず理由の一つになります。繁体字は日本で使われる漢字とよく似ており、漢字の成り立ちや、意味が分かりやすいので、私は繁体字に強く惹かれました。また、私は台湾の友人達のフレンドリーな人柄が大好きなので、台湾にとても親近感があります。ところで、中国大陸の留学生と台湾の留学生とでは双方中国語を話すとはいえ、雰囲気が違うように感じます。それがどうしてなのか、どこが違うのか、今はよく分かりません。だからこそ、私は実際に台湾に行って、台湾の暮らしや文化に触れたいと思うようになりました。私の大学の先輩は何人か台湾に留学した経験をもっており、彼らの話によると、台湾は私の生まれ育った土地とはまったく違い、冬になっても雪の降らない温暖な土地だと聞きました。緑豊かで温暖な土地で暮らす台湾の人々は親切で穏やかであり、陽気さとおおらかさを兼ね備えていると。私はよく台湾のドラマを見たり、音楽を聴いたりするのですが、日本のドラマや音楽と似ているため、親近感が得られ、もっと触れてみたいと思うようになりました。しかし日本では距離的に近い台湾よりもアメリカやイギリスの情報のほうが得やすいように感じます。私は台湾に留学し、たくさんの台湾人と交流したいです。そして、台湾の素晴らしい文化を日本の友人達に紹介していきたいと思っています。

国際教養大学では、私が1年生だった2006年の夏から留学生の数が急激に増え、よりたくさんの国の様々な情報を得られるようになりました。アジアからは台湾だけでなく、韓国、シンガポール、マレーシア、香港、マカオ、そして中国大陸から大勢の留学生がやって来ました。彼らとのかかわりの中で、細かな衝突を何度も目にし、私自身も体験しました。知らなかったことが多すぎて、悩んだり、真剣に議論したりしたこともありました。暗い歴史が今も影落とす日本とアジア諸国との関係もそのうちの一つです。大学で留学生と交流すればするほど、何も知らない自分が恥ずかしくなりました。それとともに、国家間の問題はそこに住む人々の問題でもあるのだと実感し、問題から逃げるのではなく、知る努力をしなければならないと痛感しました。今まで私には留学経験がなく、まして中国語圏には足を踏み入れたことすらありません。ですから、私の物の考え方や捉え方は、どうしても日本側からでしかなく、相対的、客観的、多角的な見方が出来ていないと思うのです。どんなに考えが偏らないように努力したとしても、日本から出ればまた、ある物事に対する、今まで考えたこともなかったような新たな側面が見えてくるかもしれません。先輩や留学生から聞くよりも、「百聞は一見にしかず」と言いますので、是非実際に台湾に行き、アジア側から見た世界を私も見てみたいと思います。台湾で様々なことを身をもって体験し、そこから学びたいと思います。

留学先として私は国立師範大学国語中心を希望しています。理由は中国語のスキルアップに非常に有効なクラスと自分のレベルに合った教育が受けられると思ったからです。国立師範大学は、教授がとてもよく、教材が充実していると、ここに以前留学していた先輩から聞きました。さらに、師範大学は長い歴史と留学生向けの中国語教育に確かな実績を持っていると思います。私はこの一年の留学中はとにかく中国語の能力を上達させることに努めたいと思います。私は中国語の読み書きよりも会話が苦手です。大学でも中国語圏の友人に会話のパートナーを頼み、週3回ほど練習していますが、まだまだ足りません。やはり、現地に行き、現地の人々とコミュニケーションをとることが必要不可欠だと感じます。大学での勉強はもちろんですが、日常的に中国語で考え、中国語で話す練習をしようと思います。今回の1年留学で大学の講義を中国語で問題なく受講できるくらいの力を身につけるのが第一の目標です。台湾語にもチャレンジしてみるつもりです。

この留学の後、引き続き国際教養大学の留学システムで台湾に留学し、中国語の授業を台湾の学生達と受けたいと思っています。希望としては国立台湾大学に正規の留学生として留学したいです。ビジネスや通訳として十分な中国語力を養うために日々努力します。また、大学の授業でアジアの問題や外交関係などを学びたいと考えております。さらに積極的に友達と交流することで、外にいては分かりえない何かを得られることを期待しています。卒業後の将来は現段階では漠然としていますが、政治経済ならびに観光発展の促進に貢献できるような仕事に携わりたいと思います。さらに、人と直接関わり、日本語、中国語、そして英語を生かせる仕事をしたいと思います。どんな小さな存在であったとしても、台湾と日本をつなぐ仕事をしたいと考えています。さらに具体的な職業や、自分がやるべきこと、社会貢献の仕方は、留学中に探すつもりです。