ここ数日で、とても有意義な議論をした。
と、いうか、いい話を聞けた。
今セメで、初めて西洋系(特にヨーロッパ)の留学生と授業がいくつか一緒になった。
異文化の授業には、ノルウェー、オーストリア、ハンガリーの学生が、
東アジア研究概論の授業には、ノルウェー、フランス、台湾、オーストラリアの学生がいる。
彼らの授業を受ける姿勢や、発言力、発言の内容の深さ、知識の多さには本当に感心する。
それと共に、私はここ最近、本気で自分の無知さ、発言力、言語力のレベルの低さ、受け身の姿勢にほとほと恥じ入っている。
EAPが終わって、本格的に英語「で」受ける授業になってきた。去年の秋セメの時、国際関係論を取って、本当に面白いと思った。あの授業は、物事のつながり、歴史と現在そして未来への流れ、何が正しくて、何が間違いなのか・・・・そういうことをいろいろな視点から(cosmopolitan とかstate moralistとかutilitarianとか)考察して考える授業だった。だから、世界の流れや因果関係がよく見えて面白かった。テストはファイナルが100%。エッセイだったから、この流れ、因果関係が分かって無いと意味がない。というか、エッセイが書けない。この試験に関しては前にブログに書いたハズ・・・。グレードは結局Aを頂けたが、正直、ここまでグレードなんか関係ないと思えるくらい楽しい授業はAIUで初めてだったように思う。
私は言語そのものが大変好きなので、AIUの授業はほとんどが面白いし、興味深い。EAPやSPC,COMPOでさえも、面白いと思ってきた。でも、常に一番先にGPA やグレードを気にしてきた。だから、どうしても、Critical Thinking うんぬんの話ではなく、受け身的、先生の嗜好重視そんな姿勢だった。そして、それに慣れきって、その姿勢に疑問すら抱かなくなっていた。
3年前、私は仙台の河合塾文理で浪人生活を一年送っていた。浪人時代は本当に有意義だったと思う。何より、塾講師の話はどれも面白く、私の世界を大いに広げた。寮の友人や同じクラスの友人達と、勉強そっちのけでいろいろな話題を議論したことが多々ある。私は今、東アジアを専攻し、中国語を第三外国語に選んで、もろに中国語圏である台湾に行こうとしている。だが、実は私は高校まではアメリカ、西洋にしか興味が無かった。浪人時代ある先生の一言とある友人との議論が私を180°変えた。それから、私の志望校は変わり、学びへの姿勢も変わり、結果AIUにやって来た。人生をガラッとかえる出会いと学びを私はあの場所でしたのだ。あの頃の、考えること、知ること、学ぶこと、知識へのこだわりと渇望は、大きなエネルギーを持って私の心を突き動かした。常に私は満たされない気持ちでいっぱいで、もやもやしていて。。。でも、だからといって諦めたわけではなく、受験勉強そっちのけで本屋に足繁く通っては本をよんだ。授業に出ることは講師の話を聞けること。それだけで、予備校に毎日行く意味があると思えた。
今セメが始まって、最近あの頃と同じような感覚に襲われることが多い。AIUに入ってから大分長い間忘れていた感覚だ。その感覚に、自分がここ数年考えていないことへの焦りと、英語力(つまり表現力)のなさへのもどかしさが加わって、私は猛烈なもやもやにさいなまれている。あのころ、受験勉強よりも考えること、自分の知識をどん欲に増やすことを優先した行動力は、今私にはない。いつもどこかで、宿題のおおさを理由に、知ることから逃げている。矛盾だが、私は知ることが正直怖い。なぜなら知ろうとすると、まず一番先に自分は本当に何も「しらない」ということを知るからだ。無知の知というか、無知は無知だと思う。
「言語はコミュニケーションの道具だ。」
よく聞く台詞だ。私もそうだと思っている。だが、「されど道具」なのである。
つまり、道具を正しく使えて初めてコミュニケーションは完成するのだ。
人間は言語というシステム無くして生きてはゆけない。言語は私たちの生活を常に定義して、動かしている。私たち人間は皆、言語のストラクチャーに区切られた枠のなかで生活していく。
ちょうどステーキを食べるときに、ナイフとフォークの使い方が分からなければ、うまくステーキは食べられないのと同じように、道具は使いこなせなくては意味がない。
また、反対に道具が使えても、肝心のステーキ、つまり話の内容が無ければこれまた意味がないのである。
ここまでつらつらと書いてきたが、いまいちこのもやもやを言葉で整理するのは難しい。
しかし、すこしづつ整理して、書いていこうと思う。
留学生や、周りの人たちと話をもっとして、いろんな考え方を知りたい。
偏りはどうしても出てくるだろう。でも、自分の考えを自分で考えて作れるように多角的な視点から物事を見ようと思う。新聞やニュースももっと生活の中に取り入れていこうと思う。
この感覚は、とても私を焦らせる。
だが、これを今思い出したのには何か意味があるはずだと思う。
Friday, May 16, 2008
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