Wednesday, March 14, 2007

最近の人魚は、泡になって消えない。

人魚姫。
「人魚の王の6人の娘たちの内、末の姫は15歳の誕生日に昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から王子を救い出した人魚姫は、王子に恋をする。
人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もし王子が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じる事になるとも・・・。王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話す事が出来ず、王子は人魚姫が命の恩人である事に気付かない。
そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘が命の恩人と勘違いしてしまう。
やがて王子と娘との結婚が決まる。悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れる事を教える。愛する王子を殺す事の出来ない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天へ昇っていった。」


一方、かの有名なディズニーの”Little Mermaid”は、完全に、海の魔女アスラーが悪の象徴として描かれ、彼女を排除することで人魚姫アリエルは引き替えにした声を取り戻しただけではなく、人間の姿を維持したまま、王子と結ばれる。恋愛の美しいところだけを前面に押し出し、汚い部分はというと、アスラーを徹底的に憎まれ役にすることで、誰にも、にわかには気付かせない。みんなに愛されるアリエルと誰もが消えてしまえと願うアスラー。だからこそのハッピーエンド。そんなおとぎ話になっているのだ。

でも、現実の世界ではそう簡単にはいかない。物事には多角的な見方があり、それらは相対評価で成り立っている。映画のように、どちらかが悪だと決められたら、どれほど楽だろう・・・。現実はもっと複雑で汚い。でも、映画よりも美しい。この究極の矛盾こそが、苦しみの訳だ。

アンデルセンが書いた人魚姫は、本当はどこまでも純粋に王子を愛しながらも、報われる事がなかった悲しい恋の物語。これも、絵本の中のお話。最後には必ず救いが待っている。悲しくても、痛くても、泡になることで、人魚はそれらの一切から解放されたのだ。この人魚のように、いっそ泡になって消えられたなら、どんなにいいだろう。そうすればこれ以上の憎しみや悲しみ、痛みはない。綺麗なまま終わることができるのだから。

もし、人魚姫が命を惜しんだら、この後の物語は血みどろの生臭い物語になっていただろう。綺麗なまま終わるためには、お姫様は消えることが決められていた。死ななくてはならなかったのである。主人公でさえも、王子と娘の結婚を邪魔することは許されなかった。結ばれなかったことで、その後にあるであろう、醜いごたごたを見る必要はない。泡は儚いが、美しいものの象徴。泡となって人魚姫は、永遠の美しさを手に入れた。

だが、こんなにも、こんなにも、現実は”ジレンマ”だ。

どうして、こんなにうまくいかないのだろう。

「恋愛」という熟語はあるけれど、「恋」と「愛」は違うと思う。
恋は盲目だ。恋は病だ。恋は駆け引きだ。

奪えるのが「恋」、奪えないのが「愛」。

心からの愛は、宇宙よりも広く、どこまでも寛大である。しかし、時として大きな痛みと犠牲を払う。人魚姫が差し出した声と足の痛み。失った命。それは恋愛に多大な犠牲がつきものだと暗示している。

想いを口にすることで、誰かを傷つけるのなら、一生言うまい。このまま墓場にもってゆく。

優しさが故に、あなたはそうきめたのでしょう?
そして、そのための強さが欲しかったのでしょう?

今時この世界には、王子が他の娘と結ばれても、人魚を泡にできる魔女がいない。

そこには悪など存在しない。魔法をかけたのは、魔女でも、王子でもなくて自分自身。「愛」という魔法がとけるまで、ひたすらにその痛い足で踊り続ける。

いつか、魔法がとけたなら、あなたはもっと優しくなれるでしょう。
いつか、その傷が癒えたなら、あなたはもっと強くなれるでしょう。

ただ、今はまだ辛い。全てを押し殺そうとしないで。私は、あなたの為なら髪を切ろう。
だだ、差し出すのは短剣じゃなくて「愛」。
「愛」には「愛」を差しだそう。そして、私はこの手をさしのべよう。

魔法をといてあげる。必ず助け出してあげる。泣いたって構わないのよ。あなたはその権利を持っているのだから。そしてあなたが望むなら、誰にも言わないと誓うから。

だから、また笑って。私の大切な友達。

最近の人魚は、泡になって消えない。

時間だけが・・・

忘れていたのでも、
なくしたのでもなくて、
しまいこんでいただけだった想い。

なかなか振り切れなくて。。。

でも、それがセピア色になって遠ざかって行くのを感じた。
罪悪感はずっとつきまとう。

だけど、もう戻ったりできない。
もう絶対戻らないって誓うよ。
だから、もう大丈夫だよ。

最後の仕上げは、私が変わるだけ。

でも、時間を待つことだけ。

誰かの願いが叶うころ

小さなことで 大事な物を失った 冷たい指輪が 私に光って見せた
今さえあればいい といったけど そうじゃなかった
あなたへ続くドアが 音も無く消えた

あなたの幸せ願うほど わがままが 増えていくよ
それでも あなたを引き止めたい いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が 泣いているよ そのまま 扉の音は鳴らない

皆に必要とされる 君を癒せる たった一人に なりたくて
少し我慢し過ぎたな 自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ
それならあなたを抱き寄せたい 出来るだけぎゅっと

私の涙が乾くころ あの子が 泣いているよ このまま 僕らの地面は 乾かない
あなたの幸せ願うほど わがままが増えていくよ
あなたは私を 引き止めない いつだってそう

誰かの願いが叶うころ あの子が泣いているよ
皆の願いは 同時には 叶わない
小さな地球が回るほど 優しさ身につくよ
もう一度 あなたを抱きしめたい できるだけ そっと

これ、宇多田の曲です。前、NAOのMIXIにも書いてあったんだけど、この曲ってほんっとに的を射てる。。。

結局、人間は利己的な生き物だと思います。だからといって、人の不幸の上に自分の幸福があるのは罪悪感を抱く事になる。そして、あなたがその罪悪感にどんなに苦しんだとしても、あなたが踏み台にした相手はあなたを恨み続けるだろう。あなたの苦しみでは、相手の傷を癒せないのです。その苦い想いは、いつまでもついて回り、なかなか脱することができない。頼みの綱は「時間」だけ。すがるしかありません。

でもそう考えると実は気付いていないだけで私たちは既に何度となくそうして生きてきたのでしょう。生きることが他者との関わり合いの連続である以上、それは輪廻のごとくつづくのではないかと思います。しかし、自分の不幸の上に人の幸福があることも事実です。

この輪廻は終わらない。生きている限り繰りかえし続ける。一種の駆け引きのように。

Monday, March 12, 2007

「ありがとう」っていい言葉

とがった先の鉛筆じゃ だめな気がして

意味のない円を落書きして まるくしてかいた「ありがとう」


槇原敬之が作詞・作曲して、夏川りみが歌ってる「フルサト」の中から
抜粋。「ありがとう」って言葉ってこういう物なんだろうね。丸くて、優しくて、光でも闇でもある。
いろんな思いが全て詰まった言葉。

「ありがとう」

言いたい人がたくさんいる。人生の根底は「ありがとう」だ。

Friday, March 9, 2007

それが人生でしょ?

辛い

痛い

悲しい

これって、人生のスパイスで。

幸せでさえも、失う辛さや恐怖を伴ってやってくる。

ってことは、スパイスって言うか、人生そのものかもね。

あなたは、いつも言ったよね?

「一人で抱え込むなよ。」

とか

「お前の苦しみや悲しみを分けてくれ。」

とか

「お前を助けたい。」

とかね。

ありがと。でも、

あなたにはわけたくないかな。

この苦しみも、痛みも、悲しみも・・・

全部、私のものだからさ。

もったいなくってさ。

ホント重いんだよ??分けちゃったら、半分こになって、軽くなっちゃうじゃん。

でも、幸せや嬉しいこと、楽しいことなら分けてあげる。

だって、これなら分けても減らないじゃん??むしろ増えるきがするじゃん??

ごめんね、ドけちで  笑

でも、あなたになら、全部あげてもいい。

私の幸せ、全部かき集めて、持って行っていいよ。

Thursday, March 8, 2007

谷への道

2007年3月8日木曜日 午後10時から11時までナオと散歩に出た。

雪は止み、
空気は澄み渡り、
空は一面綺麗な星だった。

月は主張していた。自分がここにいると。


記憶を 塗り替えに。
それができなくても、せめて過去に。

過去の私とアイツに向き合わなくては。
そうして、記憶を思い出に。

前に進ませて。
私が間違っていたと、わがまますぎたと、認めるから。
わかってる。
もう私を見てはいないことくらい。
もう私は必要ないことくらい。
わかってるよ。

だから、ナオに話したんだ。
ここでどう思った。
この場所で、アイツはこう言った。
自分でもよくわからないくらい、幸せな時間だった と。
もっと素直に生きられたらいいのに・・・。

そうして、ひとつずつ、
記憶は過去に、過去は思い出になっていく。

もうずっと行ってなかったのに、
まるでつい最近のことのように覚えている。
でも、谷に着くことはできなかった。

会話や気持ちなら覚えていたのに、
道がわからなかった。
まるで私の気持ちの迷いを、あざ笑っているかのように。。。

時間は、確実に経っていた。
あれは、幻だったのかもしれない。
それは、ギリギリの願望。

レゾンデートル。

「体内に溶けてこそ 真実

どんなに本物らしく思えるものでも、

理解して 受け入れられない限り

数多く存在する事実の一つでしかない。」



「世界を嘲笑したつもりでも

世界は私を 一顧だにしない。

世界を拒絶したつもりでも

私だけでは 私の輪郭を確認できない。」



「アイデンティティの確立とは 難しいもので、

私はよく、私のアイデンティティを、どう確立してゆけばいいのか

わからなくなる。

私は私として・・・。とはなんなのだろうか。

私が私であること。

それこそが、私の存在を困難にする。」